私は「航空機を作る」という本を作るときに、ボーイング777の開発プロセスを半年かけて取材しました。777は、”Working Together”というかけ声のもとに、全世界の航空会社や部品メーカーを巻き込んで、徹底した合議制で作られた飛行機です。広範なニーズ調査から出発し、運用の現場から要望と問題点を吸い上げ、製造の現場から改善提案を募り、市場にきめ細かくフィットし、高品質、低運用コストの航空機として企画されました。
どこかで聞いたようなものづくりですが、開発者の何人かは、トヨタをはじめとする1980年代の日本メーカーに学んだ開発プロセスであると明言しています。その結果、777は機体故障が極端に少ない航空機として、近年では最も成功した機種となりました。
でも私は何か物足りなさを感じていました。有り体に申せば、777の設計には美意識のようなものが希薄だったのです。
一方、747という航空機の構造や外観には、たまたまそうなったというような曖昧な物ではく、はっきりとスタイリング上の意思を感じます。ジャンボを特徴づけるコクピット周辺の豊かなボリュームと、ピンと跳ね上がる巨大な尾翼をつなぐ緊張感のあるライン。それを中央で支える主翼の付け根のたくましいふくらみ。そこから伸びる巨大な主翼のシャープさ。これらの要素が彫刻家の手になるかのように完璧なバランスで収まっています。貨物輸送機への転用を考えて設計されたと言われる2階建てのコクピットにしても、とてもやむなくそうなったとは思えない見事な曲面で構成されています。
特に私は、747の離陸を、真横よりも少し後方から見るのが好きです。空に向かって巨大な頭部を徐々に持ち上げ、それを追うように4つのエンジンが上を向きます。その後方には、大地に横たわる空気塊を抱えて大きく展開されるフラップ群、それとは逆に地面をこすらないようにピンとはね上げられた尾翼。離陸のための力を溜め込んだような緊張感をたたえながら少しばかり走った後、ゆらりと地面を離れます。そしてゆっくりと車輪を引き込み、フラップを閉じて、徐々に細身になって行く様を見送る喜び。
747には、エンジンを支えるパイロンの有機的なラインを始め、ディティールにも777にはない繊細さが込められています。777の開発ストーリーを取材中、私はエンジニア達に、ぶしつけな質問をしてしまいました。「777のスタイルには747ほどの美意識が感じられないのはなぜか」と。技術者達は口を揃えて、777も747も合理的な設計の結果である事に変わりはないと主張しますが、747の形についてしつこく食い下がると最後には、「偉大なサッターが決めた事だ」という言葉が何度も帰ってきました。
747の開発ストーリーには設計リーダー、ジョー・サッターの人間臭いエピソードがいろいろありますが、ボディから放たれる神々しいほどの生命感は、偉大なサッターとベテランぞろいだったという設計チームが込めた美意識なのでしょう。
航空機には、他の工業製品と同様に、いやもしかするとそれ以上に設計者の思想と美意識が強く形に現れると私は考えています。もちろん異論もあるでしょう。航空機は、しばしば「機能的に洗練させるだけで結果的に美しいもの」として「機能美」の代表例のように語られて来ました。しかし、その結果を見ると、同じような構成の旅客機でも美醜の差が歴然とあります。私は777の取材を通じて、その後航空会社と共に仕事をする機会も得て、航空機設計はデザインそのものであると確信しました。
文献を見る限り、747の設計には、内装を除いてデザインの専門家が関わっていたと言う話は出てきません。しかしそれでも、いやだからこそ、この機能と美意識の奇跡的な適合を成し遂げた「ジャンボ」を、20世紀デザイン史上の傑作であると認めざるを得ない。ジョー・サッターこそが、アレック・イシゴニスと同じように、工学設計と意匠設計が同居する巨匠であったと考えるべきなのでしょう。